「一年は組には関わるなとは言わん、だが、充分注意しろよ」
あいつ等はトラブルの歩く見本市のようなものだ。近くにいれば必ず巻き込まれるぞ。まあ、この私ぐらいになればあいつ等の持ち込むトラブルも容易く云々グダグダグダグダ……
食堂でお使いの事を話し終えた後、不意に滝夜叉丸が硬い口調(もっとも後半はいつもの調子に戻ったが)でそんなこと忠告してきたなぁと、落ちている最中に何故か思い出した。
ああ、これが走馬灯ってヤツですか。いえ、冗談ですが。
五、誰しもが若く見られて喜ぶと思うなよ!
「大丈夫ですか?斉藤さん」
「うーん、なんとか……って、あれ?」
顔を上げれば物凄く近いところにの顔と体があってタカ丸は頭が真っ白になった。
どうしてこういった状況になったのか思いつかなくて、慌てて回りを見回せば見えたのは土の壁。上を見れば大量の雨粒が一丈(約3m)ほど先にある丸く狭い空から降り注いでいて、そこでようやく自分が穴に落ちたことに思い至った。
落ちる瞬間、咄嗟に近くにいたの腕を掴んでしまった。それで二人とも落ちたのだ。
落ちたにしては衝撃が少なかったのはをクッション代わりに下にしてしまったからか。
「って、ちょっとまって。何で君が下敷きになってるの?僕の方が先に落ちたのに」
「ちょっと深かったので危ないかなと思いまして」
咄嗟に体勢を入れ替えたという。
あの一瞬で穴の深さを把握したうえ咄嗟に自分を庇うなんて並みの芸当じゃない。これが忍者の勉強を四年間積んだ者の実力かと、タカ丸は素直に感心した。
でもそれ以上に心配になる。
決して体格がいいとはいえないが十五歳でそれなりの体つきの自分を上にして穴に落ちるなんて正直どうなんだろう。よく分からないがそっちの方が危ないんじゃないだろうか。
「君は大丈夫?怪我は?どっか痛い所は?」
「ええと、そうですね。とりあえず退いてもらえますか斉藤さん」
言われて自分がをクッションにしたままであることに気がついた。どうりでが近いはずだ。
慌てて体を離して立ち上がったところで上から声がかかった。
「!タカ丸さん!無事か!?」
「ええ、こちらは平気です。すみませんがカギ縄もってませんか?」
が見上げて仕込むの忘れてしまいましたと言えば、滝夜叉丸も首を振った。
「すまん。私も持っていない。今喜八郎に取りに行かせたからもう暫く待ってくれ」
「あ、取りに行くのなら縄梯子のほうが良かったかもしれません」
この雨の中、ロープだけでよじ登るのは訓練していないものにとって大変なことだ。
チラリとタカ丸を見た滝夜叉丸はわかった、と頷いて穴から顔を引っ込めた。
「うう……巻き添えにしてごめんね」
「まあ、仕方ありません。私も落とし穴の存在に気づいていませんでしたし」
あのとき綾部が振り向いて言ったのは「そこに落とし穴があるよ」だったのだろう。
綾部が口を開いた時点で穴関連だと思うべきだった。少し言いすぎかもしれないが。
すっかり濡れてしまいましたね、などと言いながら、は雨でぬかるみ始めた地面に座り直した。すでに装束の半分は泥だらけであったので抵抗は無かった。汚れなかった掌だけ膝の上において泥から死守できればいい。
タカ丸の装束も泥で汚れていたが、を下にしたお陰で被害は膝下と肘先だけで済んでいた。
まあ、あまり汚れてなくともどの道この雨では後で着替えなければいけないが。
「それにしても迂闊でした。トシコちゃんの存在をすっかり忘れるなんて……」
トシ君かもしれないがこの際どうでもいい。
目立っていた蛸壺ばかりに気をとられて忘れていたが、それらが掘られる前に二百個の落とし穴が掘られていたと聞いていたのに。
綾部の性格を考えれば落とし穴が井戸の近くに掘られていてもおかしくは無い。……甚だ迷惑だが。
「見事に術にかかってしまいましたね」
「術?」
「ええ、本人にその気はないでしょうけど。他のモノに注意を向けさせ、本当の目的を達成させることを下着の術といいます」
「……ああ〜。この場合、蛸壺に気を取らせて落とし穴の存在を忘れさせたってことだね。勉強になるな〜」
メモしなきゃ、とタカ丸は懐に手をやるが、すぐにメモ帳が濡れてしまうことに気がついて手を離した。
残念に思いながら、そういえば、とメモを離した自分の右手を見る。
あの時咄嗟に掴んだの腕は二の腕だったか。全体的に細いと思っていたが腕も随分細かった。しかもあの感触。
(柔らかかった?)
一瞬のことだったけどその分印象に残っている。筋肉の硬さはあったがその上に何か柔らかいものが包まっているような不思議な感触は、鍛えているはずの忍たまの上級生にしては妙だ。
あれでは幼子か、力仕事をしない身分の人間か、或いは――
(女の子?)
まさかと思いつつも、圧し掛かかってしまった体はどうだったか思い返してしまう。
特別起伏があるわけでも柔らかかったわけでもなかったような気がするが。同じ一瞬のことでもこちらはあまり思い出せなかった。
「どうかしましたか?」
「え?あ、いや〜、なんでもないよ」
右手を見つめて沈黙した姿を不審に思ったのか、が声をかけてきたが、タカ丸はパタパタと手を振って誤魔化した。
「そうですか?」と不思議そうにこちらを見つめる顔は確かに女の子にも見える。
でもそれを言うなら綾部喜八郎だって女の子のように綺麗な顔立ちだ。
見た目なんてアテにならない。
の顔は目が大きく輪郭も柔らかい線を描いているせいで年よりも幼い印象を受け、それが余計女性的に見せているのだ。
年が若ければ若いほど女の子と男の子の区別は曖昧になる。
そこまで考えて、もしかしてと思う。
「君って今いくつ?」
もしかしたら優秀すぎて飛び級でもしてきたんじゃないかと思ってそう言ったのだが。
「……………………それはどういう意味でしょうか?」
寒い。
なんだか一気に気温が下がったような気がするのは降り続く雨のせいだけではないだろう。
の笑顔が少し怖い。
あ、これは聞いちゃいけないことだったのか、とタカ丸は焦った。そういえば一年は組の三人組が四年生ですかと聞いたときも微妙に空気が剣呑としたのを思い出す。
「あ、いや、同級生にも敬語だからなんでかなーと思って」
「それで皆より年下ではないかと思ったと?」
「う、うん。あ、でも一年生にも同じ態度だったから違うよね。あははは……」
咄嗟に見た目ではなく態度が理由だと話せば、空気が少し和らいだ。
なるほど、幼く見える見た目を気にしているのか。
でもそんなに気にするほどでもないと思うんだけどなぁとタカ丸は思った。少しだけ幼さが抜けてない感はあるが年相応な感じだ。
そんなタカ丸の考えを知ってか知らずか、は溜息を一つ吐き、
「斉藤さん、私はね」
はそこで句切って視線を明後日の方向に向ける。
深刻そうであるが、それ以上に、雨に濡れて頬に張り付いた髪と憂いの表情がマッチしていて妙に色っぽい。さっきまで幼く見えていたのに、こうした仕草一つで年がぐんと上がって見えるのは不思議なことだなと思う。
「今十四歳なんです」
「へえ、僕より一つ下なんだ……ね、えっ?」
「春休みには十五になります」
「ええっ!それって僕と同い年ってことだよね!?」
予想外の言葉にタカ丸は驚いた。つまりは学年で考えれば自分と同じ六年生と同じであるわけで。
……見えない。
さっきの艶のある雰囲気は何処へやら、自嘲気味に呟く顔はどう見ても十三歳がいい所で。
「なのに……誰も彼もが私を十三かそれよりも下に見てくれるんですよ。ふふっ、なんですか?齢十四にして童顔ですか?二十歳になったらどうなるんですか?ねえ、斉藤さん」
わ、若く見られるのはいいんじゃないかなぁ……?
と喉まででかかった言葉は必死で飲み込んだ。
こちらを向いたの目が笑っていないのだ。口だけが弧を描いた笑顔は妙な迫力がある。
六年生にはどう見ても見えません。なんて口が裂けても言ってはいけないと本能が告げていた。
の妙な年への劣等感はそういうことか。一四、五歳で十三歳よりやや幼く見られれば確かに気にしてしまうかもしれない。
「そ……それは、ええっと、皆は知っているの?」
とりあえず見た目のことから離れるのが正解だろうと、タカ丸は視線を彷徨わせながら二度目の軌道修正を試みた。
問われては少し首を傾けた。
「そういえばどうでしょう?少なくとも先生方はご存知ですが…………後は誰も聞いてこないしあまり言うようなことでもなかったので、人にはっきり言ったのはこれが初めてかもしれません」
まあ、隠してもいないし知っている人は知っていると思います。と、軽く言ったからは先ほどのひやりとした気配はいつの間にか何処かへと潜められていた。
どうやら危機から離脱したらしい。タカ丸は胸をなでおろした。
「でも何でまた四年生に?なにか事情があるの?」
「いえ、大した理由はありません。忍者になろうと思ったのが遅かっただけなんです。それで、一、二年ぐらいの違いなら別に一年生から入っても良いかなと思いまして」
斉藤さんと似ています、と言われれば確かにそうかもしれないとタカ丸は思った。こっちは同じ二年遅れでも四年間の空白があるけれど。
「それにしても、同じクラスで同じ二年遅れだなんて凄い偶然だねー」
「そうかもしれませんね」
後者はともかく、前者は多分学園長か四年の教師の采配だろうけど、無邪気に喜んでいるのでそこをあえて指摘する必要はないだろうとはにこやかに相槌をうった。本当のことを聞いたわけでもない。
ふと、滝夜叉丸と綾部がそろそろ戻ってきてもいい頃だと思い、は上を見上げた。
雨は先ほどよりも弱くなっており、もう四半時もすればやみそうな気配だった。
夕日は地平線にかかっているのだろう。穴の入り口にまでしか日が入ってこなくて薄暗い。頭上に雲がかかっているせいもある。
しかし綾部はよくもこんな深い穴を掘ったものだ。それも二百個も。彼にしてみればこの深さや数は大しものではないのかもしれないが、普通ならばありえない。
「あ、そうだ」
カギ縄を取りにいった綾部は普段どうやって穴から抜け出しているのか考えていたら(多分クナイでよじ登るのだろうとすぐに結論が出た)、不意にタカ丸が明るい声を上げた。
「折角同じ学年、同じクラスの同い年なんだから敬語やめようよ。呼び方も、斉藤さんじゃなくてタカ丸のほうが嬉しいなー」
……。
ニコニコと、邪気の無い明るい笑顔が似合う男である。
性格だけならの方が年上のようだが、逆に言えば子供のようにしても十五に見えるのだ。
それは羨ましいと素直に思いつつ、一拍置いて、は三つの選択肢を導き出した。
「嫌ですよ」「何の試練ですか」「私は敬語と苗字呼びが大好きなんです!」
「君君、選択肢三つとも言葉に出てる出てる」
「おや、うっかり」
「しかも一つも肯定がないって」
「あはははは、冗談ですよ」
頬に張り付いた髪から水滴を払いつつ、は可笑しそうに笑ったので、そこでようやくからかわれたのだとタカ丸は気づいた。
「敬語はともかく名前は別に構いませんよ、タカ丸さん。同い年の友人というのは考えてみれば初めてですし」
「え?」
名前呼びは嬉しいけど"さん"は要らないよとか、同い年の友人がいなかったのはどういう意味とかタカ丸が口を開く前にが言葉を続けた。
「敬語は譲れません。人によって口調を変えるのはめんど……もとい、私の個性ですから」
「今本音が聞こえたよーくーん」
「嫌ですね、冗談ですって」
それは一体何処からどこまでが。
年齢のくだりから全部ですと言われれば信じてしまいそうだ。
カラカラと屈託無く笑う姿はやっぱり実年齢より下に見せるが、それはそれで個性があっていいんじゃないかとタカ丸は思った。
「楽しそうだね私も混ぜて」
「うわあっ!?」
突然、上から声が降ってきたかと思ったら、間をおかず声の主まで降ってきた。
タカ丸が声を上げたのはいきなり人が降ってきたからか、それとも着地と同時に底に溜まった泥水が跳ね、紫紺の装束を遠慮なく汚したからか。或いはあと少しで踏まれそうになったからか。
多分、全部だろう。
頭上から降ってきたのはこの落とし穴の製作者、綾部喜八郎その人。
「なんで綾部まで落ちてくるんですか……」
「だって、楽しそうだったから」
何故か拗ねたような口調。
呆れる(寧ろ諦めに近い)様子のに構わず、手にカギ縄を持ったまま綾部はタカ丸との間でしゃがみこんだ。
ただでさえ三人でいるには狭い空間なのに、なぜ壁際ではなくど真ん中に陣取るのか。相変わらずの読めない(読まない)行動には苦笑するしかない。
「、タカ丸さん縄梯子を持ってきてやったぞ…………で、なんで喜八郎まで落ちてるんだ」
ありがたく思うがいいと、縄梯子片手に戻ってきた滝夜叉丸は穴の中の頭巾の数が増えていること気がついておいおいと突っ込んだ。
「実はかくかくしかじか」
「なるほど、かくかくしかじかを使うほど長い話じゃないということは良くわかった」
お前の意味不明な行動については今更言及せん、とクラスメイトの言葉をさらっと流して滝夜叉丸は縄梯子を穴に垂らした。
「とにかく上がってこい。いつまでもそこにいるわけにはいかんだろう」
そろそろこの話も終わらせたいんだ。
誰の本音ですかそれは。
雨はそろそろ止みそうな気配であった。
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