修正:2010/11/15



 ピシャッと空を切り裂くような雷が落ちる音が遠くで聞こえた。
 途端、滝が流れるような轟音が戸の外で響き始める。
 また雨が降り始めたのだ。
 今度は少し長引きそうだと思うのは気持ちのせいだろうか。







八、よりも愛おしい記憶







「滝夜叉丸。タカ丸さんも苦しいでしょうから、手を離してあげてください」
「……だが
「もう誤魔化せませんから、正直に言いましょう」

 手にしていた湯飲みをコトリとお膳にのせ、が緩やかに言えば、滝夜叉丸は躊躇いながらもタカ丸の口を押さえていた手を離した。

「タカ丸さん、どうか騒がないでくださいね」

 口元に人差し指をあてシーッというジェスチャーをしながらタカ丸の目を見て静かに言えば、彼はコクコクと頷いた。滝夜叉丸に突っ込まれた羊羹がまだ飲み込めていなくて声が出せないのだ。
 その隙を縫って、三木ヱ門が地に擦らん勢いで頭を下げた。

「――、すまない!」
「うわ、なんですかいきなり」

 目を丸くするの反応に「なんですかじゃないだろうが……」と滝夜叉丸は半ば呆れたようにボソリと突っ込んだ。

「こうもあっさりお前の秘密をバラしてしまって……僕はなんと詫びたらいいか……!」

 迂闊。いや、馬鹿だ。
 あんなに抵抗も無く簡単に彼女の秘密を口にしてしまうなんて、自分でも信じられなかった。
 女性だということを思い返さなければ良かった。そう、後悔する。

「田村は真面目ですねぇ」

 三木ヱ門が一人で思いつめていると、彼の気持ちとは対照的には気楽に笑った。

「でも、そんなに勢いよく頭を下げなくてもいいんですよ。仕方ないじゃないですか。タカ丸さん以外知っている顔ぶれだから、気が緩んでしまったのでしょう。……だから」

 おもてを上げい。
 何処の下町奉行だ。

 なんて冗談はともかく、のほほんと言うの様子は、通り雨に降られても誰も責めない、と言わんばかりに本気で気にしていないようだった。
 夕方に誤魔化したのが無駄なことになってしまったけど。
 でも、三木ヱ門はがっくりとうなだれたまま回復しない。余程自分の仕出かしたことが信じられないのだろう。
 暫くそっとしておこうと決め、はタカ丸を見やった。
 羊羹はもう飲み込み終えたらしい。うずうずと、何か言いたげにこちらに視線をよこしていた。

「さて、どう話しましょうか。ああ、私の性別ですが、田村の言った通りです」

 やはり軽い調子で言えば、タカ丸は重大な秘密を知ってしまったように(事実その通りだ)声を潜めた。

「女の子……ってことだよね」
「そうですね。これは秘密にしていることなのであまり口にしないでいただけますか?」

 ここは忍術学園。何処に人の耳があるか分かりませんから。

 外では煩いほどの雨と時折雷が鳴っていて今は盗み聞きされるような心配も無いが普段は違う。依月は口元に人差し指を持ってきてシィッいって見せた。
 を挟んだ斜め向こう側で綾部の瞳がこちらを捉えているのがチラリと視界に入り、タカ丸は頬に一筋の汗をかいた。穴に埋まるかと言った時の不穏な気配は消えていたが、首を横に振るにはとても躊躇われる威圧感を感じるのだ。
 頷くしかない。
 拒否をする代わりにタカ丸は恐る恐る手を上げた。

「なんでしょうか?」
「その、なんで忍術学園の忍たまをやってるの?くの一教室だってあるのに……」
「それは、くの一よりも忍者の方が格好いいからです」

 はっきりと即答された答えは至極明解。
 単純すぎて一瞬理解できず、タカ丸は目を瞬かせた。

「それに、くの一じゃ火縄銃の授業がありませんから」

 戸惑うタカ丸の気持ちを汲むように、付け加えた。

「……火縄銃が好きなの?」
「ええ。憧れていました」

 少し、遠くを見つめるようにしては微笑んだ。
 控えめで静かな笑みは、彼女を少しだけ年上――いや、歳相応に見せ、タカ丸の心臓を小さく跳ねさせた。
 その動悸を誤魔化すように視線を彷徨わせ、質問を続けた。

「――ええっと、くの一じゃない理由は分かったけど、でも、何で忍者なの?もっと他にも格好いい職業だってあるでしょう?剣士とか、幻術師とか。火縄銃が好きなだけなら鉄砲隊に入るというのも手だと思うし」

 鉄砲隊に女の子が入れてもらえるのかは不明だが、それは忍者も似たようなものだろう。
 は「もっともです」と頷き、滝夜叉丸にお茶をくださいと湯飲みを差し出した。

「昔、私を助けてくださった方が忍者だったのです。私はその人に憧れて――この学園に入りました」

 懐かしむように。大事な思い出のように。ゆっくりと彼女は言った。

「助けて?」

 タカ丸が首をかしげた。
 お茶を淹れ、湯飲みをに手渡した滝夜叉丸は複雑な表情をするが、何も言わない。

「十歳のとき、私は人攫いに拐されたのです」
「!」

 驚くタカ丸の横で、三木ヱ門も顔を上げた。彼も初耳だったようだ。

「あの人は私の両親に雇われ、私を助けてくださいました。その時思ったのです。忍とはかくも格好いいものなのかと」

 たった一人で助けてくれたその人のことは今でも鮮明に覚えている。
 早業だった。助けてくれたのだとちゃんと理解できた時には既に助けられていた。
 引き寄せられたときに香った嗅ぎ慣れない火薬の匂いが不思議と心地よかった。

「その人が君が忍者を目指す理由……」
「攫われたことなんて、知らなかった」

 呆然と三木ヱ門が呟いた。
 だからお使いで人攫いから村娘を助けに行くと簡単に決めたことに対して滝夜叉丸は何も言わなかったのか。いや、言えなかったのか。

「ごめん、なんか辛いこと思い出させてしまって……」

 しょんぼり、という形容が実にしっくりくる様子で、タカ丸は呟くように謝罪すれば、は緩やかに、しかしはっきりとかぶりを振った。

「辛くなんてないですよ。私にとってはとても大切な記憶なんです。まあ確かに、攫われたことは愉快なものじゃありませんが、あの人に出会えたことに比べれば些末なことです」
「だから、お前の些末の基準はどうしてそう大逸れてるんだ……」

 今まで複雑な表情を崩して、滝夜叉丸は疲れたように顔を抑えて溜息をついた。
 いつの間にか隣でのんきに舟をこいでる喜八郎の存在もなんだか憎い。完全な八つ当たりだが。

 辛く思って欲しいとは思っていない。心の傷になっていないことは心底ホッとしている。
 だけれども、

「お前が攫われて、こっちはどれだけ心配したと思ってるんだ」

 思わず恨みがましく言ってしまう。

 が攫われたとき、折りしも滝夜叉丸も彼女の傍にいた。
 の家とはよく行き来する仲で、その日も彼女の家に遊びに来ていた。
 外で遊ぼうという彼女の提案にのって庭に出たとき、陰に潜んでいた人攫いに彼女は攫われてしまった。後でわかったことだが下働きの中に人攫いと通じている者がいたらしい。当時子供であった滝夜叉丸には詳しく教えてくれなかったが、あの後、一、二人見なくなった顔がいたのでそいつらがそうだったのだろう。
 攫われた時の光景は今でも時折夢に見る。目の前が真っ暗になるような絶望的な光景だ。
 家の方針で幼少の頃より武術の稽古は欠かせたことは無かったが、そんなことは関係無しに助けられなかった。あのときほど自分が無力だと思ったことはない。
 だから、自分は忍になろうと思ったのだ。単純な力だけでなく、どんな状況にも対応できる技術を求めて。彼女を守れるだけの強さが欲しくて。

 なのに、何故彼女まで忍者の道を目指すのか。
 私も忍者になります、と宣言されたときは正直耳を疑った。

「両親や滝夜叉丸には心配をかけてしまったことは、本当に申し訳なく思っています」

 そんな言葉が聞きたいわけじゃない。攫われたのはお前のせいではないのだから。
 私が言いたいのは、もっと重要なことは重要に思えということだ。
 でなければ、いつか本当にあっさりとその身を失いそうで怖いのだ。
 
(なんて、はっきり言えれば苦労はしない)

「いや、悪かった。なんでもない」

 せいぜいそんなことを言うのが精一杯だった。
 言いたい事が言えないなど自分にしては弱気な事この上ないと、滝夜叉丸は心の奥で自嘲した。


君と滝夜叉丸君は付き合いが長いみたいだけど、ご近所さんだったの?」

 滝夜叉丸とのやり取りが途切れたのを見計うようにしてタカ丸が小さく手を上げ、そんなことを聞いてきた。 
 少なくともが攫われた十歳からの知り間と言うことは滝夜叉丸の呟きから理解できた。
 タカ丸の素直な疑問に、滝夜叉丸は意識を現実に戻して顔をあげた。

「家が近かったわけではありませんが、親同士の仲が良かったので小さい頃からよく遊んだりしていたのです。いうなれば幼馴染のような――」
「許婚ですから」

 言葉をさえぎった単語に滝夜叉丸はギョッとした。
 半分寝ていた綾部の瞳が勢いよくパチリと開く。
 タカ丸と三木ヱ門の目は点になった。

 外の雨の音がひときわ大きく聞こえるのはみなが絶句したからだろう。

「あ、私の正体が忍たま十一人以上に知れると私退学になりますから」

「え、今の流すの!?さらっと流すの!?」

 あっさり重要事項を畳み掛けないでっ!

 悲鳴のように叫ぶタカ丸に同意するように、たまらず三木ヱ門達も身を乗り出した。

「ちょ、ちょっとまて何ださっきの許婚って!僕は初耳だぞ!」
「はっきり言ったのはこれが初めてですからね」
、滝と結婚するの?」
「さあて、どうでしょうか。親同士の口約束ですから」
「なんでバレたらいけないのが十一人なの!?」
「当時のクラスの人数が十一人だったからじゃないでしょうか」



「って、平然と受け答えするなーーーーー!!」
「事実ですから」


 こいつ絶対に楽しんでやがる。
 
 妙にいい笑顔のの顔を見て、滝夜叉丸は頭を抱えた。





← 前 次 →