一つ、例え秘密を知っている者とでもが"女"であることを話さないこと。
 一つ、どんなときでも"女"として扱わないこと。

 その二つを斉藤タカ丸に固く約束させ、その日はお開きとなった。
 守らなかった時はどうするなどは言わず、一つだけ彼の願いを聞き入れて。


 彼女が投げつけた混乱は、欠片も治まることなく……








九、お礼の品は黄蜀








 後ろに片手をついて布団の上に寝転べば、背中よりじわじわと体が緩んだ。
 この感覚は好きだ。疲れているときほど背骨の負担が開放された瞬間は心地よい。
 はホウッと幸せな息を吐いた。

 なんだかんだでこの七日間、ゆっくりと寝る暇もなかった。
 怪我を負って村で治療を受けたときですら、飲めや騒げやの大宴会〜朝までコース朝食付き〜でとてもじゃないが眠る静けさなど得られなかった。
 助け出した村娘のうちの一人が村長の孫の婚約者だったのが一番の理由だろう。娘が戻ってきたとき、お孫さんはそのまま結婚式をしてしまいそうな勢いで喜び、涙を流しながらひたすらお礼を述べ続けた。
 村人たち――特に助けた娘の親たちも拝まんばかりにに感謝し、お礼だといって実に色々持ってきた。それは礼じゃなくてお供え物ですか?と聞きたくなるぐらいの大量の村の特産物。
 流石に荷物になる、というよりまず持てないので丁重にお断りしたが、全て断るのも悪いので薬にもなるという植物の根だけは貰っておいた。何でも胃潰瘍に効くらしい。土井先生にでもあげようか。
 宴の最中、助け出した婚約者の熱っぽい視線が何度もに注がれたりもしたが、まあ、見なかったことにした。
 一時の気の迷いだ。絶望の中から助け出されれば誰しもが傾倒に近い気持ちを持つものだ。それを恋心と勘違いするのは流行り病のようなもの。すぐに覚め、現実の幸せを掴むだろう。
 うん、と布団の中で小さく頷き、はこちらの事は忘れることにした。

 代わり、というように先ほど同級生たちに言った自分の言葉が脳裏で再生された。


――許婚ですから。


 許婚。
 婚約者。幼少のうちに、双方の親の合意で結婚の約束した間柄。


 あれは事実だが、ただの事実だ。
 家の今の状況からして実質上形骸化している意味の薄いもの。
 元々そんな厳密に交わされた約束ではないのだ。言うなれば酒の席での酔い言葉。
 も傍らで聞いていたから間違いない。
 そんな曖昧な盟約に拘束力など殆どあるはずはなく。
 それでも口に出したのは、

(ただのいらぬ配慮)

 右手首を額の上に乗せ目を閉じた。丁度良い重さに安心し、意識が現実からのろのろと遠のいていく。

 いらない手札のそれらしい部分だけワザと見せたのは、驚かせる為。

 ただ真面目な彼の――

 途中まで考えて、思考を意識的に止めた。
 頭の中に黒い闇が満たされる。しじまの色だ。外からは雨音が絶えず聞こえてしじまではないけれど。

(己の気遣いを思い返して納得しようなんて野暮ってものです)

 そんなのは望む所ではない。格好よくない。
 自分はただ格好良くありたいのだ。身も心も強く、大人でありたい。
 助けてくれたあの人を思い返していつも思う。
 そうして、あの時言えなかった言葉をいつか渡したいのだ。


 まどろむ頭の中に漂う四年間何度も反芻した言葉は――雨音と混ざって夢に落ちていった。



 長かった一日が終わる――




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