修正:2010/11/08
「敵が多いのであれば減らし、組まれて厄介ならば組ませないようにしましょう。今回は模擬実戦形式ですからそこを使わない手はありません」
学級委員長委員会の人間として学年混合のこのイベントの基礎を考えた人間は、あどけなさが残る顔に含んだ笑みを浮かべて上級生二人相手にそう提言した。
十二、小細工は必須です ろの段
寅四刻すぎ――
夜は静かに過ぎ去り、鳥のさえずりを合図に太陽が地上に姿を現して朝霧を照らし始めた。
夜と朝が混ざり合う間というものはごく短い。
霧があったが手元が見えるぐらいまで明るくなるのはあっという間だった。
結局、夜間動かずに警戒していた食満たちの耳には争うような不審な音は聞こえてこなかった。
ただ歩くだけならともかく、人を襲って全くの無音と言うのもそうそう無いだろう。
一瞬で片をつければ話は別だが、それにしても学園に続く唯一の橋の近くであるこの場所にいて人を抱えて走る音を聞き逃すというのも考えにくかった。橋に続く道は獣道に毛が生えた程度のもので、注意して歩かねば簡単に草木を踏み鳴らしてしまうのだ。
伊作たちが上手く隠れているのか、それとも他の追う側のチームがまだ本格的に行動していないのか分からないが、どっちにしろ本番はこれからといえる。
霧の中、光がやんわりと伝わってくるのをその目で確認しながら食満留三郎はとくとくとそんなことを考えていた。
「日は出てきたが――嫌な湿気だ。こりゃひと雨くるか……?」
立ち上がって空を見上げ、疎らに出てきた雲を見つめて食満はひとりごちた。
ここ数日、季節のせいか天候が安定していない。本降りになるか小雨になるか分からないが、ある程度は覚悟しておいた方がいいなと彼は思った。
その背後で座っていた三木ヱ門も立ち上がり、食満へと向き直った。
「雨が降ってきたら面倒です。早速捜索に当たりましょう」
今日は火器を所持していないはず(突然の召集に準備しきれなかったらしい)の三木ヱ門だが、焦るように彼は言った。
雨を心配してというよりも、ずっと待機していたことが焦りに繋がっているのだろう。
その三木ヱ門の視界にストンッと濃紺の影が降るのが目に入った。
木の上で警戒していたチームメイトの久々知だ。
「食満先輩、誰か来ます」
彼は真剣な面持ちで二人だけに聞こえるようそっと告げ、その方角を睨みつけた。
霧で見通しが悪く何も見えないが、耳を澄ませばガサガサと不自然に葉の擦れる音が段々と近づいてきていた。
警戒しない足取りからして追う側のチームか。
食満たちは視線を交わすと近くの木の陰に身を潜め誰が出てくるかをうかがった。
やがて徐々に草木を踏み鳴らす音が大きくなり、随分近くなった所でピタリと止まった。
「隠れていないで出て来い。こっちはわざわざ分かるように来てやったのだ」
傲然と言い放つ声は聞き覚えのあるものだった。
「仙蔵、か」
念のため三木ヱ門と久々知はその場で待機するように目で指示し、食満が一人木の陰から出て行けば、声同様、やけに堂々と立つ仙蔵の姿が確認できた。
その近くに濃藍と茄子紺の装束の忍たまがそれぞれ脇に立っている。
それぞれのチームのメンバーは昨日のうちに把握していた。と言っても別に諜報活動をしたという訳ではない。掲示板に堂々と張り出されていたので誰もが知っていることなのだ。
その中で一番敵に回したくないと思ったチームが今目の前にいて、厄介なのがやってきたと食満は苦い顔をした。
「何か用か?標的は俺たちじゃないはずだが?」
敵対することも考慮して警戒しながら問えば、仙蔵はフッと軽く笑った。
「そう邪険にするな。何も邪魔しに来たわけじゃない。留三郎、私のチームと手を組むつもりは無いか?」
「――なんだと?」
考えていたこととは違う提案に、食満は目をしばたたかせた。
「別にそう不思議なことでもあるまい。手を組んだ方がより確実なのはお前も分かっているだろう?」
「それはそうだが……お前たちなら手を組まなくたってやってけるんじゃないか?少なくとも、俺はお前ならそう判断すると思ったが」
食満の言葉に仙蔵はあっさりと頷いた。
「まあそうだな。他の六年を捕まえるならともかく、相手は伊作と四、五年だ。侮るつもりは無いが、それほど警戒する必要もない。だが、四年が存外厄介だと滝夜叉丸がいうのでな」
念には念を入れることにしたと、白い顔に綺麗な笑みを浮かべて仙蔵は言った。
仙蔵の隣にいる滝夜叉丸は上級生と一緒にいるせいか、いつものウザったいほどの自己主張は成りを潜めただ普通に立っている。
食満は滝夜叉丸をチラリと見てから、視線を戻した。
「厄介、だと?」
「ああ。何でも伊作の所の四年は奇襲奇策が得意らしい。まあ、どの程度の策を練るのか私としては興味があるところだが、それを推し量っているうちに他の奴らにでも出し抜かれては面白くない。そいつ一人ならともかく、伊作も鉢屋もいることだしな。用心に越したことは無いだろう」
「……田村、本当か?」
後ろの木の陰に控えている三木ヱ門に声をかければ、彼はやや躊躇ってから出てきた。
「――確かにアイツは人の意表をつくのが好きですが奇策と言えるものを練れるかまでは……さっきも言いましたが、僕はクラスが違うので戦い方まで詳しくないんです」
食満の近くまでやってきた田村は、ややふてくされるようにして言った。
自分と同じくとクラスの違うはずの滝夜叉丸が知っているのに、自分が知らないと言うことが不服なのだろう。
「ただ、言い忘れてましたが、罠が一つあったらあと三つはあると思った方がいいでしょう。あいつは勝負事になると本気で容赦しませんから……」
なにか思い出したのか、少々げんなりしながら田村は言えば、仙蔵の隣で滝夜叉丸が少しだけ目を細めた。
「用心深いと言うわけか」
「そういうわけだ。どうする?我々と手を組むか組まないか――」
私はどっちでもいいがと、右手を差し出して余裕な態度で仙蔵が問う。
食満は思案した。
条件としては悪くない。
これが文次郎ならば手を組むどころか(間違ってもそんな提案は出てこない)即交戦だろうが、仙蔵達ならば歓迎できる。
標的が一人だけというわけで無ければ土壇場で裏切られるような心配も無い。
(願ってもないが……本当にそれだけか?)
良い話には裏がある。
忍として裏を読むクセがついているせいで食満は数泊沈黙し――その間ふと何か覚えのある臭いがしたような気がして食満は考えを中断した。
それは目の前の男からではなく、その左隣の――
「――不破?」
「はい?なんですか?」
呼ばれた少年は目を瞬かせて首をかしげつつ食満を見た。
いつも同じ顔をしている相棒とは質の違う、いかにも善良そうな気配と共に漂うものに食満は確信する。
直後、食満は仙蔵の手を払い、彼の腹めがけて蹴り込んだ。
「!?」
唐突に繰り出された全力の攻撃に仙蔵は左腕だけでガードするも、勢いに耐え切れず後ろへ吹っ飛ばされる。
間髪いれず、食満は隣に立っていた雷蔵の手を捻り挙げ、肩を押さえて地面へと倒した。
「食満先輩!?」
「何をするんですか――」
食満の突然の行動に三木ヱ門は驚き、雷蔵は抗議の声をあげた。
「こいつは不破じゃない、偽者だ」
うつ伏せにした彼の背に乗り顎下に指をかけて皮膚を引っかく様に動かせば、表面を覆っていたモノが易々とはがれた。
それと同時にモサモサとした不破の髪の下から、ネコッ毛の長い髪がバラリと垂れ落ちる。髪の間から見えた顔を見て、三木ヱ門は驚いた。
「善法寺先輩!?」
「やっぱりな」
ふふん、と食満は鼻を鳴らした。
「お前が夜中に煎じていた薬と同じ臭いがしたからもしやと思ったん――」
風を切る音が耳に入り食満は口をつぐんだ。
と同時に、咄嗟に不破に化けていた伊作から手を離す。瞬間、腕に鈍い衝撃が走った。
予想よりも重い衝撃に耐え切れなくて食満はそのまま勢いよく地面を転がった。
転がる合間に攻撃の元を探れば、伊作の近くに滝夜叉丸――の格好をした誰かが片足を軸に立っているのが見え、蹴られたのだと瞬時に理解する。
食満が体勢を立て直しかけたとき、後方に吹っ飛んでいた男が素早く三木ヱ門へと走り、その鳩尾へ一撃お見舞いするのが見えた。
「ここは退く!」
「逃がすか!」
仙蔵の声で言われた退却の合図とかぶるタイミングで食満は手裏剣を投げつけた。
蹴られた衝撃の余韻のせいで狙いに自信は持てなかったが、手裏剣は運よく茄子紺の装束へと軌跡を描いた。
弾くか受け止めるか迷ったのか滝夜叉丸の姿をした者は一瞬だけ動きを止め、それから体を捻って手裏剣をかわしたが、紙一重のところで手裏剣が腕を掠めてしまった。
彼はちっ、と舌打ちしてそのまま森の奥へと走り去った。
あっという間の出来事だった。
「追いますか?」
立ち上がった食満の元に駆け寄った久々知は、その端正な顔に悔しそうな顔を浮かべていた。
援護する間もなく逃げられてしまった事が悔しいのだろう。
「俺が行く。久々知は田村を見てから、こられそうならついて来い」
殴られた三木ヱ門を見れば、彼は体をくの字に折って地面に転がっていた。
やったのが四年か五年かは分からないが、手加減無く殴られたのだろう。暫く動けないかもしれない。
武器が使える自分が追いかけるのが妥当だろうと判断し、食満は苦無を左手に持って伊作たちが消えていった方角へ走り出した。
逃げた三人はそれぞれ別々の方向に走っていったが、誰か一人だけ捕まえればよかった。
幸い、先ほど四年の装束を来た人間のものであろう血が地面に僅かながら零れ落ちていた。
ともすれば見落としてしまいそうな僅かな手がかりとは別に、後から来るかもしれない後輩たちのために走りながら木の幹に傷をつけて目印とする。
利き手ではない手でそれをやるのはぎこちなかったが、右手はまだクナイをしっかり握れるまで回復していなかった。
ゾッとするような力だった。何か仕込んでいたのか、勢い以上に重たい蹴りだった。
下手な受け方をしていたら腕を折られていたかもしれない。
今だ痺れる腕をさすりながら食満は頬に冷や汗をかいた。
(それにしても追われる側から追う側に近づいてくるとは。なるほど、確かに変わった策が好きらしいな)
お陰で後手にまわってしまい、考えていた作戦が意味を持たなくなってしまった。
とはいえ、足取りを掴めたのは幸運だ。
わざわざ近づいてきたのは時間稼ぎのつもりだったのか、それとも油断した隙に攻撃するつもりだったのか。恐らくは両方か、と食満は走りながら考える。
何で鉢屋じゃなくて伊作が不破の格好をしていたのか理解できないところもあるが、それは追っている人間を捕まえて聞けば分かることだろう。
(伊作のヤツ、普段からあれほど臭いには気をつけろと言ってるのにあの馬鹿)
袖を嗅いで自分には臭いがうつってない事を思わず確かめてしまう。
ともすれば致命傷となりうるかもしれない臭いを染み付かせた同室者の迂闊さを有利とは思わず心配してしまうのは長い付き合いのせいか。
実習から戻ったらきつく言い含めておかねばなるまいと食満は走りながら心に決めた。
幾許か走った所で、ふと、前方に腕を押さえながら紫色の背中が走っているのを視界に捉えた。
しめた、と留三郎は痺れが収まりつつある手で懐から手裏剣を取り出しその背に向かって投げつければ、気配を察したのか振り向きざまに手にした苦無で叩き落された。
振り返ったことで今だ滝夜叉丸の格好をしている者の足が止まる。
食満は止まらずそのままの勢いで一気に間合いを詰めた。
「ふっ――」
息を吐き出し体重を右拳に乗せる。
先ほどのお礼と言わんばかりに、助走の勢いに乗せて下から上へ突き上げるように繰り出した拳は相手のガードする腕へと吸い込まれ――まるで紙切れのように彼を斜め上へと吹っ飛ばした。
(いや、違う――)
手ごたえが軽すぎた。
己の力を利用して自分から後ろに飛んだと気付いたのは、滝夜叉丸(仮)がひらりと軽業師のように空中で一回転して近くの木の幹に着地したときだった。
何のダメージを受けた様子も見せず、スッと立ちあがる。
「お前は鉢屋か?それとも四年か?」
軽い身のこなしに食満が感心しながら問えば、
「さて……追いつかれるまでもう少しかかると思ったんですけどね、流石は六年生」
質問には答えず、滝夜叉丸の顔で苦く笑った。
その視線が食満の背後へに動く。
相手の仲間が来たのかと食満が後ろを確認する前に、覚えのある声が投げかけられた。
「食満先輩!」
「――久々知か。田村は?」
「意識がなかったので置いてきました。それより――」
「ああ、アイツは一人らしい。鉢屋か四年かは知らないが、チャンスだ」
木の上を見据え手裏剣を構える食満の斜め後ろに立った久々知がボソリと呟いた。
「確かに、一対二なら有利ですね。
六年生(相手でも」
彼のものじゃない声に食満の背中が泡立った。
咄嗟に彼から距離をとろうとした刹那、脇腹に細く鋭い痛みが走る。
その痛みが何なのか把握する間もなく食満は手に持っていた手裏剣を五年生へと投げつけたが、ギリギリの所でかわされてしまった。
「お前、鉢屋か!」
「ご名答」
そう言って距離をとりながら自ら久々知兵助の顔を剥がし、雷蔵の顔で三郎は不敵に笑った。
「迂闊もいい所ですよ食満先輩!先に逃げた人間は後ろからやってこないとでも?」
「
虚崩(れだったってのかよ……!」
※虚崩れ:作戦でわざと退却すること。
彼らの退却が作戦の一部だったことを理解した食満は、三郎が摘むように手にしている鋭く光る銀色のモノを見て顔を引きつらせた。
いつの間にか刺された痛みが消えてしまっているのは気のせいだろうか?
「針……って、まさかそりゃ伊作のやつじゃ――」
確認というよりも否定して欲しい気持ちで問うが。
「はい。善法寺先輩特製の、"一刺しで熊をも昏倒させる麻酔針"です」
軽やかに肯定したのは鉢屋ではなかった。
聞き慣れない声がした方向に食満が振り向けば、そう高くない位置で四年生と目が合った。
いつの間にか木から降りてきていた顔の知らない四年は、滝夜叉丸の顔のまま彼ではありえないほど柔らかく微笑んでいた。
「明日の授業には支障が出ないとのことですから安心して眠ってください」
できるか!
そう食満が叫ぼうと一歩踏み出した瞬間、膝がカクンと崩れ地面についた。その衝撃さえまともに感じなかったことに彼は焦った。
立ち上がろうにも膝に力が入らない。
熊をも昏倒させるというのは伊達ではないらしい。そんな物騒なものを気安く貸したクラスメイトの正気を疑った。
「なんちゅーもんを素人に扱わせるんだ伊作は……!」
「素人なので僕が持っているのは即効性ではないものですよ。伊作先輩が持っているヤツなら多分こうして話す間もなかったかと思います」
手にした針を懐に収めながら飄々と鉢屋が言った。
「くそっ……逃げたのは罠かよ……」
いよいよ頭が朦朧として視界が狭まってきた。
久々知達を置いてきたのは失策だった。標的が襲ってくると考えなかった時点で間違っていた。
臭いで伊作だと気付くことすら計算だったのだろうか。そんな馬鹿なと頭を振ればくらりと目の前が揺れた。
"罠が一つあったら三つあると思った方が――"
食満は三木ヱ門がつい先ほど言った言葉を今更ながら思い出し、自らの判断ミスを悔やんだ。
ついでにもう一つ思い出す。
「接近戦は苦手だったんじゃ……」
恨み言のように呟いたのを最後に、彼の意識はそこで途切れた。
どう考えてもあの蹴りや攻撃のいなし方は見事としか言いようがなかった。
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