弓なりの月が傾く前の話である。
まるで薬師のように懐から出した小箱の中身を説明していく様子は普通の忍としては少々違うけれど、それでも、いやそうであるからこそ心強いとは常から思っている。
目の前の先輩は忍にしてはすこぶる優しく色に弱いとの評価を受ける人だが、その内面は存外強かであることも知っている。
「僕が持っているのは手裏剣とか普通の武器と、あとは薬だね。痛み止めの薬に包帯、下剤、解毒薬、睡眠薬、止血薬、それから少しだけだけど痺れ薬と麻酔針もあるよ」
善法寺伊作が自分の持っている物を説明し終わると、は明るい声で素晴らしいと喜んだ。
伊作が薬を持っているだろうことは予測していたが、その内訳は予想以上に使えるものだ
「私は変装道具と遠眼鏡、それに煙玉だ」
持っているのが当たり前な基本の武器などは省いて鉢屋が簡潔に告げた。
伊作の後だと随分少ないように感じられるが、基本忍者というものはあまり多くの道具を持たないものだ。
秘伝書いわく、一器を用いて所用を弁ずるのが忍の巧者である。
「私は
いつも通りの装備と、目潰しと焙烙火矢を持ってきました」
懐から幾つかの焙烙火矢を取り出して地面に転がす。どれもの手製のモノだ。
そのうちの一つに目を留めて、伊作が指差した。
「あれ?これだけなんで×印が描いてあるの?」
「え?――ああ、これはしまった」
幾つかの焙烙火矢に紛れて一つだけ朱色の墨で×が書かれた物があり、それをみてがペチリと額を叩いた。
「これは失敗作です。いえ、だそうです。昨日――」
そこまで言ってハタと何かに気付いたように言葉を次ぐのを止めた。
は真面目な顔で×印の焙烙火矢を注視したかと思うと不意に上をチラリと見てその後また視線を下へと移し、そうして視線を二人に向けて何か企むような笑顔を見せた。
十二、小細工は必須です はの段
「しかしまあ、接近戦が苦手、ね」
すっかり麻酔がまわって眠りこける食満留三郎の体をグルグルと縄で縛り上げた鉢屋三郎の呟きは、からかうような響きを含んでいた。
「六年生、しかも武闘派で知られる食満先輩を蹴り飛ばしておきながらそりゃないだろうよ」
「あれは食満先輩が善法寺先輩に気を取られていたから上手くいっただけで……」
彼らの周りには縄抜け出来ないように留三郎の袖や懐から出された忍具が散らばっている。
それらを拾いながらは、顔は滝夜叉丸、声はという妙な状態で少し歯切れ悪く反論した。
四年生が六年生を蹴り飛ばすなどまぐれでも誇らしいことではあるが、は声高に喜ぶつもりはなかった。話題の種になりそうで好ましく感じられないのだ。
「謙遜だな、」
食満を蹴り飛ばしたのはまぐれなんかではないと三郎は理解している。
もちろん、あそこまで綺麗に蹴りが決まったのは不意打ちの力が大きいが、しかしながらそれなりの技量が無ければ防がれて終いの話である。何せ相手は二学年上の六年生なのだ。
はその平均よりも細い体のせいで直接的な取っ組み合いなどは苦手としていることは鉢屋も知っている。しかし、だからと言って接近戦は不得手と言うのは些か不用意な結論だ。
「大体、苦手とは私が言ったわけじゃありません。大方、食満先輩は同じチームの田村から聞いたのでしょう。昔、田村にそんなことを言った覚えがありますし……とはいえ二年生の頃の話ですが」
同級生である田村にいまだにそう思われていたのは意外であった。
しかし、クラスが違う上、滝夜叉丸ほど頻繁に関わらないせいかと思えば納得も出来た。何せ彼は己が女であることを知っているのだ。
も自らの力を強く主張したりしない性格であるから、余計に仕方が無い。
年齢的に身長など皆よりも頭一つ優位に立っていた一年生とは違い、段々と体格も追いつかれてきた二年生の頃から力勝負の取っ組み合いになると殆ど負けていた。
その時に田村に少しばかり洩らした事がある。
それでも二年も前の話だ。
四年となった今では純粋な"力"の差は開くばかりとなったが、それをあしらう為の技術はそれなりに身につけたつもりだ。
取っ組み合いが苦手ならそれ以外で対応すれば良いように、同じ土俵でも技まで同じにする必要など何処にもない。
爾来、忍者とはそういったものだ。
腕力で適わないのなら、より強力な脚力を使えばいい。徒手空拳が劣るなら武器を扱えばいい。武器で制されるのなら策を練ればいい。は二年生のうちにそう結論を得た。
食満の武器をあらかた拾い終えたは、最後に残っていた見覚えのある巻物を手にとり、それを改めながらどこか遠い目をして独りごちた。
「人に知られた弱点をいつまでも弱点にしておくほど私は親切ではないというのに。いつまでもあると思うな苦手と弱点、って言いますよね」
「言いませんとも」
「あれ、そうでしたか?まあ良いです」
「良いのか」
「それよりも、そろそろ戻りませんか?残してきた善法寺先輩が気がかりです。その、不運が」
予定では今頃伊作は久々知と田村の二人を足止めしている事になっている。
伊作は仮にも六年生である。真っ向勝負ならともかく、下の学年の足止めぐらい問題ないはずだとは考えているが、だがしかし彼には不運がある。
そしてつい先ほどもそれが発動したばかりだ。
そのことを思い出したのか、鉢屋はのらりと立ち上がりながら「伊作先輩といやぁ」と口を開いた。
「まさかあそこで見破られるとは思わなかったよ。食満先輩に蹴られたときは本気で焦った」
流石は不運委員長と、この場に伊作がいないことをいいことに鉢屋三郎は口元を歪めてそんなことを言った。口は悪いがそれは伊作を貶めるつもりで言われたわけではないとは知っていたので、何も言わず地面へ視線を落とした。
そこには縄抜け出来ぬよう、きっちり縄を結ばれた留三郎が転がっている。眠る顔は存外安らかだ。
本来なら立花仙蔵に扮した自分たちと組んだ後、油断したところを襲うはずだったのに、雷蔵に化けた伊作が不運とも不注意とも取れる理由でバレてこうなった。
しかし、伊作の不運というハンデがありながら、いくつかのチームを嵌めてなお今の所無事でいるのは、不運どころか僥倖だと思う。
「備えあれば憂いなし、ですね。些末な策が役に立って何よりです」
何らかの形でバレることを想定して予め他の作戦を考えておいて良かったと、は控えめに笑った。
これで自らを囮に逃げるふりをして六年生を罠にはめるのだから空恐ろしいと、三郎は心の中で呟いた。は大人しそうな顔(無論の本当の顔の方だ)をしてやることが大胆なのだ。
奇襲奇策が得意というのは仙蔵に変装した三郎が勝手に説明したことだが、三郎自身はそれが間違いではないと確信している。
「しっかし、狙われる側が狙うってのは意表をついた良い作戦だとは思うけど、良かったのか?今回、しちゃ随分積極的じゃないか」
三郎は食満の身を木の幹の下まで持っていくと、人に見つからないように木の葉で隠しながら、が作戦を立てたときから気になっていたことを今更ながら口にした。
が人の印象に残るようなことを努めて抑えていることを三郎は知っている。
そうすることで己の抱えているなんらかの秘密から人を遠ざけようとしているということも、とうの昔に看破していた。
気がつけたのは飄々としながら何かを隠す様子が己と似ていたからかもしれない。
けれど自分と違って目立つような行動はしないから、正直意外であった。
「私はいつだって"勝ち"を狙っておりますよ。それに、今回の合同実習はさわりだけとはいえ学級委員長委員会が決めたことです。これで鉢屋先輩と二人そろってボロ"負け"だなんてことになったら庄左ヱ門と彦四郎に合わせる顔がありません!」
「あー、なるほど」
ぐっと拳を握ってやや熱く言うに、鉢屋は頷いた。
同じ委員会の可愛い後輩を出されては頷かざるを得ない。一年生達は上級生二人にとって可愛い存在なのだ。
特に、必要のない人間とはあまり関わらないにとって二人は数少ない交流のある後輩なのでその思いもひとしおであった。
目立つのは嫌いだけど、勝つためなら積極的になれるという妙な矛盾を抱えているの頭を、難儀なと思いながら鉢屋は手でぽんぽんと軽くはたいた。
「じゃあ、私の可愛い後輩が可愛い後輩達にガッカリされないよう、私も頑張らなくてはな。ところで、いい加減滝夜叉丸の顔は止めないか?なんかこう、撫でてても複雑な気分というか」
「知りませんよ」
可愛い(後輩は、頭におかれた手をペシリと叩き落として遺憾の意を示した。
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