修正:2010/09/19
そして一時、数日前の話に遡る。
「今回の学年混合イベントは四、五、六年生の実戦型の実習にしまーす」
出来上がったばかりの草案を一年生たちに見せ、適当な調子で胸を張って鉢屋三郎は緩く宣言をした。
まだ半乾きの流麗な文字に目を走らせ、今福彦四郎は目を瞬かせた。
「上級生だけでやるんですか?」
「ああ。たまには手加減無しの実戦も楽しそうだと思ってね。オリエンテーリングみたいに緩いのはこの間やったばかりだからいいだろう?」
下級生用の優しい口調で鉢屋が言っているのは、学園長の突然の思いつき(頭上に黒板消しを落としたかったという、しょうもない理由の)で上級生と下級生がペアを作って行った校外実習のことである。
「それに、一年生と二年生、そして三年生の一部のクラスは授業が遅れていて予定外の授業をしている余裕がないとのことでしたので配慮してみました」
筆箱に筆を仕舞ってから一年生達の座る近くまでやってきたは、鉢屋の隣に座るとたおやかに説明を付け足した。
それを聞いて庄左ヱ門が口に残っていた羊羹の甘さをお茶で流し、手を上げた。
「先輩、一年は組の授業が遅れているのは分かりますが、二年生と三年生で遅れているクラスなんてあるんですか?」
冷静かつ客観的な庄左ヱ門の質問に、は三郎と自分の湯飲みにお茶を入れながら言いにくそうに視線をずらした。
「それが……困ったことにあるみたいですよ。二年い組と三年ろ組の授業の進み具合が正直芳しくないとか」
「二年い組と三年ろ組……先輩、もしかして……」
「はい。二年い組は時折乱入してくる大木先生が野村先生の授業を妨害する為で、三年ろ組は校外実習でほぼ毎回生徒二名の捜索に切り替わるせい……らしいです」
「……とてもよくわかりました」
庄左ヱ門は真面目な顔でこっくり頷いた。
授業の進み具合に影響する程とは知らなかったが、大木先生と野村先生のライバル関係も、三年ろ組の方向音痴コンビも、どちらも学園内では良く知られている事で素直に納得できた。
「そういったわけで今回は上級生のみでやるから」
「それは構いませんが、でも鉢屋先輩、いいんですか?」
「何がだ?彦四郎」
切り分けられた羊羹の一番大きな栗が入った一切れを手にとって、鉢屋はきょとんと丸い目で一年生を見た。
「その実習、先輩たちも参加されるんですよね?参加する人間が内容決めたら不公平じゃないですか?いえ、先輩方がズルするわけないと…………ないと…………」
三郎を見ていた彦四郎は微妙な顔をして言いよどみ、三郎の隣に座っていただけ視界に入れて。
「先輩がご自分に有利な条件で内容を決めたりしないと僕は思いますが」
「まて、なぜ言い直した彦四郎?それじゃまるで僕に信用がないみたいじゃないか」
「有るか無いかで言えば無いですが」
「無いのか?!、庄左ヱ門、彦四郎が反抗期だ!」
「先輩、反抗期とは違います」
「庄ちゃん冷静!」
「日頃の行ないは大切なんですよ鉢屋先輩」
「心に刺さる正論だ!」
三郎は床に手をついてガックリと肩を落とした。
「うう、僕はこんなに後輩を可愛がっているのに……」
それ以外が問題なんですよ。という追撃の言葉は可哀想なので飲み込んであげる後輩三人。
は打ちひしがれている鉢屋を放って一年生二人だけを見ると、コホンと咳払いをした。
「……不公平がどうのという話でしが、その点は問題ありません。私たちが決めるのは大まかな内容だけで、詳しい詳細は先生方が詰めてくださるそうですから」
たまには生徒の意見も取り入れようという学園長の思いつきで急に学級委員長委員会に振られた仕事は、厳密なものを期待されているわけではなかった。
後で教師陣が詳細を決めるのなら最初からそうしたほうが手間が無くていいとは思うが、なにせ思いつきという名の学園長命令である。達観した教師陣は、まあ学園長が考える思い付きよりはましだろう、という意見で一致し、特に文句も言わなかった。
はお茶を飲み干すと、鉢屋の傍に落ちていた原案を手に取り、立ち上がった。
「では私はこの原案と他の書類を学園長に渡してきますから。鉢屋先輩をよろしくお願いしますね二人とも」
「はい」
「お疲れ様です」
お使いから帰ってきたばかりで疲れているはずなのに、それを微塵も感じさせない軽い動きでは部屋から出て行った。
提出された合同イベントの原案は、「ヒネリが足りんのう」という学園長の呟きとともに脚色されることになるが、それをたちが知るのは実習当日のことになる――
十二、小細工は必須です にの段
時は再び実習に戻る。
善法寺伊作は食満たちと初めに接触した辺りで久々知と田村を足止めしているはずであった。
伊作一人に対して相手は二人だが、しかしやることは足止めだけだ。
仮にも六年生で、しかも田村は鉢屋三郎の攻撃を受けてまともに動けないはずである。ひとつ懸念はあるけれど、問題自体はそんなに無いはずであった。
けれど。
伊作の元へと戻ってきたと鉢屋の目に真っ先に入ってきたのは、地面に倒れる三人の少年たちの姿だった。
茄子紺、紺青、常盤色の三種類の装束の中に伊作の顔は見当たらない。
その光景に焦りつつも、警戒しながら二人が駆け寄り、三人の顔を改めた。
茄子紺の装束は三木ヱ門、紺青は兵助と、これは予想通りだ。二人とも朝露に濡れながらも安らかな顔でよく眠っている。
そして、久々知の上に折り重なるようにして倒れて動かない常盤色の装束は――
「――食満先輩?」
ここではない場所で木の葉に埋もれているはずの男の姿がそこにあって、は頭を働かせる前にぽろりとその名をこぼした。
「いや、そんな訳は無い」
鉢屋は食満の近くでしゃがみ込み、彼の頭にできたコブを見ながらその首を振った。
「食満先輩はついさっき私たちが倒したばかりじゃないか。これは多分ぜったい伊作先輩だよ」
コブをつくって倒れているというのがいかにも伊作先輩っぽいと三郎が言えば、も遠慮なく頷いた。伊作がこうしてコブをこさえる姿はよく見かける光景なので同意に躊躇いはない。
「そうですよね。……いえ、一瞬六年生なら気絶したまま先回りとか――」
「出来ないぞ。出来ないからな」
ちょっとワクワクといった声で言われたの言葉を三郎はみなまで聞く前に遮って否定した。
そんな人間辞めた芸当は出来たとしても出来たくない。
「一応言っておくけど六年生も人間だからな?」
ギンギン鳴いたりするけど人間なんだぞ。
物凄く対象が絞られてませんか?
三郎の言い分も人間扱いしていないように思えるがとりあえずそっちは置いておく。
そんなやり取りをしたあと、三郎は確認のために食満(仮)の頬を軽く引っ張って素顔を暴いた。
ベリッと苦も無く剥がれた作り物の皮膚の下からは案の定、善法寺伊作の顔が現れた。
彼がこうして人に変装を暴かれるのは今回これで二度目だ。
ここに戻ってくる前にも三郎も変装を解いているのでこれで全員が素顔――ではなく、いつも通りの顔をしていることになる。
は立ったまま伊作のやや右側面の後頭部にあるコブを見てから、ぐるりと首をめぐらせて辺りを見回した。
時刻は
卯二刻ほどだろうか。
太陽はまだ低い位置にあり、雲と霧と木々の葉で光はあまり差し込んでこないが、それでもあたり一帯は充分に見渡せる。
「頭を何かにぶつけたみたいですけど、近くには何も転がっていませんね」
周りは木に囲まれているが、ぶつかって倒れる位置には生えていない。
それはつまり何かがいきなり頭上に落ちてきたとかそういう偶発的な類のものではなく、人為的な攻撃を受けたということになる。
「兵助たちに反撃されたか……それとも他の誰かにやられたか」
伊作は久々知たちの足止め役であったから反撃されてもおかしくはないが、しかしそれにしては妙だとが首をかしげた。
「体勢から言って前にいる久々知先輩や田村から攻撃を受けたというよりは……背後からの何かに攻撃を受けたような……」
状況からはそう分析するが、すぐにハッと思い出したように目を開いた。
「――と冷静に分析している場合じゃありませんでした。早く先輩の手当てをしないと!鉢屋先輩、手を貸してください」
は伊作の近くに寄ると、三郎の手を借りて久々知の上から引き剥がして彼の頭を自分の膝へ乗せた。それから伊作の頭巾を外し、怪我の具合と顔を確認する。
「コブ以外に傷は無いようですね。鼻や口からの出血もありませんし、呼吸にも特に異常は無し、と。良かった、安静にしていればすぐに気がつかれると思います」
そう言っては懐から水の入った竹筒を取り出し、同じく懐から取り出した布を濡らして伊作の頭へとあてた。
その手際のよさに鉢屋は感心する。
上級生ともなればそこそこ怪我の手当てぐらいできるようになるが、それにしても手馴れた様子に鉢屋は疑問を持った。
「なんでそんなに手馴れているんだ?」
「――え?なぜって……お忘れですか?」
三郎の疑問に一瞬も意外そうな顔をしたが、すぐに少し楽しげに口元を歪めた。
「これでも私、元保健委員ですから」
「あ、ああ!そういやそうだった!」
言われてしまえばすぐに思い当たって、ぽんっと鉢屋が手を打った。
今から三年ほど前、当時は保険委員会に所属していた。
それも不運でなったというわけではなく、自ら進んでなったという。
誰もやりたがらないから、というのが建前で、誰もやりたがらないからころころ委員会を変わることもないだろう、というのが本音であった。
多くの忍たまとあまり関わり合いになりたくないにとって、人気の無い保険委員会は都合のいい隠れ蓑であったのである。
しかし、そんな下心を持って保健委員として一年間過ごしていた筈なのに、普段から目立たぬよう品行方正に過ごしていたお陰で人の嫌がることを積極的に出来る模範的な生徒と映ってしまい、は二年生から学級委員長となった。
保健委員として一年間、大して不運だとは思わなかったが、この時だけは不運であったとは言う。
「が学級委員長委員会に入ったのは二年の春からだったか。……それにしても、一年生の時に教えられたことをよく覚えているな」
三郎の言葉には伊作の怪我に目線をやりながら、珍しく照れるように少しばかりはにかんだ。
「打撲や切り傷、それに捻挫などはよく実践で手当てしてましたから、自然と……」
その八割が視線の先の先輩だろうということは言わずもがな伝わった。
「それに、今でも時々新野先生や善法寺先輩に怪我の手当てや薬草について教わっているんです。覚えておいたほうが何かと役立ちますから」
「ふうん、勉強熱心だな」
真面目な話だと鉢屋は少しつまらないさそうに相槌を打った。
は人当たりはいいが、そのわりにあまり多くの人間と係わり合いにならない。
一部の四年生と学級委員長委員会、そして保険委員長。教師達を除けばこれがの持つ交流の全てだ。あとは顔見知り程度、知り合い程度の付き合いしか持っていない。
それは自身が意図的に制限している為だと鉢屋は知っている。
そのことに気づいたのはが学級委員長委員会に入ってから半年以上も経ってからの事だった。
人物観察は得意な方だと思っていたのに、目立たないように行動するをその通り地味な忍たまと安易に認識したのは、鉢屋三郎的に不覚であったとしか言いようがない。
二年生のくせに妙に落ち着いてたのが他の後輩よりも印象的といえば印象的であったが、その見た目どおり、殆ど手がかからなかったおかげで記憶に残りづらかったのだ。
当時を思い返せば、他の後輩にばかり手を貸していた記憶しか出てこない。の仕事の飲み込みの良さはまるで砂に水が染込むようで、あたかも一年のときからいたような錯覚すら覚えるほどだった。
先輩方の手を煩わせないよう、寝る間を惜しんで必死に仕事を覚えていたと知ったのは随分後になってからである。
学年が近いよしみで一緒に行動しているうちに半年ほど経ってからようやくに違和感を覚え、そこから確信に至るまでは早かった。
意識して注視していれば、があえて人の印象に残らぬよう行動しているのは一目瞭然――とまではいかなかったが、人の意識に入り込まないような行動ばかりするので、観察している人間には逆に際立って見え、分かりやすかった。
がそうする理由とし、己の抱えている秘密から人を遠ざける為と見抜けたのは、自分と似ていたからかもしれないと鉢屋は思う。
特定の人間以外には手の内を見せず、内面を見せず、弱みを握らせない。人あたり良く振舞ってもけして一定以上踏み込ませない。そんな所に既視感を感じ、は自分と同じく人に知らせたくない秘密を持つ人間だと感づいた。
その、人とあまり係わり合いにならないが、一年だけいた保険委員会――厳密には新野先生と伊作先輩とだけは自ら交流を持っている。
と他の人間が付き合いがあるのは別に構わない。いたって普通のことである。
当時の保険委員会の先輩方は軒並み卒業してしまっているし、五年生は
原作の都合諸事情でいないので、必然的に残った伊作と仲が良くなるのも分かる。
でも、だからといって現委員会の先輩である自分よりも親しげにされるのは正直いって癪である。
具体的に言うと、膝枕はいただけない。
なんだかよくわからないが、面白くない。
多分、可愛がっている後輩を取られたような気がするからだろう。
いろんな意味で自分ではありえそうにない状況を眺めながら、ふと、三郎の頭に疑問が浮かんだ。
(は俺が素顔を隠しているのと同じように何かを隠しているけど――伊作先輩はそれを知っているのか?)
その隠している"何か"の存在は知っているが、それが何なのか実のところ三郎は知らない。
なんとなく思い当たっていることはあるが、それが正しいのかどうかハッキリとはさせていない。
本人から教えられるか、或いは自然と見当がついたならともかく、今のところ自分から進んで探ろうとは思っていなかった。
しかし善法寺伊作はどうなのだろう?
鉢屋は未だ意識の戻らない伊作を見た。
二年上の彼にはは何かを話しているのだろうか?それとも存外洞察力の鋭いこの先輩のことである。言われずとも気づいたのかもしれない。そして彼が知っていることをも承知している。だから三年間、委員会が変わっても親しくしている――
(というのは考えすぎか?)
ただ単に数少ない親しい先輩として頼っているだけと言われればそれだけのようにも思える。
元々人当たりも面倒見もいい先輩であるからそうであってもおかしくはない。保険委員の一年生いわく、彼には人徳がある。
「ええと……鉢屋先輩?そんなに善法寺先輩を凝視しては先輩に穴が開きますよ?」
「私の目は千枚通しか」
考えるのに夢中でついつい伊作を凝視してしまっていたらしい。
三郎は今までの考えはおくびにも出さず、半眼になって低く呻いた。
「私的には日光を集中させて紙を焼ききる感じです」
「その感性は分からん」
「恐れ入ります」
「褒めてない褒めてない。……はあ、もういい。私は兵助たちをそこら辺に隠してくる」
疲れたように告げて、鉢屋は久々知と田村の襟首を掴んでズルズルと引きずって霧の奥へと進んでいった。
その何故だか少し哀愁が漂う背中を見送り、は再び伊作に目を落とした。
本当は頭の打撲には頭を体と水平にしなくてはならないのだが、その場に立つだけで足袋に染込むほど朝露が酷く、その上に寝かせるのは気が引けて膝の上へと乗せた。
正直あまり寝心地は良くないだろうが、そこは勘弁してもらうしかない。
は苦笑すると、ひっそりと出てきた欠伸を噛み殺した。
ろくに睡眠もとれずに真夜中に叩き起こされた上、始まってからずっと動きっぱなしであったから今の何も動いていない状況に少し気が緩んだらしい。
目を瞑れば甘美な誘惑が待っていそうで、はパッチリと目を開けて大きく深呼吸をした。
ォォン
微かな鼓膜の震えに、は吸い込んだ息を止めた。
一拍おいて空気を静かに吐き出し、神経を尖らせて耳を澄ます。
ドォォン
再び聞こえる振動。幻聴ではない。
途端に緊張が高まり、眠気が霧散する。
「これは、焙烙火矢……?立花先輩でしょうか?」
聞こえか方からしてここからは随分離れた所で爆発が起こっているようだった。
は伊作を見た。
(あと少しして目を覚まされなかったら、無理やり起こすしかないですね)
遠くにいるからといってずっとここに留まっているのは得策ではない。何せ敵は立花仙蔵のチームだけではないからだ。
今はまだ朝霧のおかげで辺りを見回すぐらいしかできないほどの視界だが、それももってあと半刻ほどの効果だ。霧が晴れる前に善法寺の意識を回復させなくてはならない。多少荒っぽい手を使っても。
が覚悟を決めていると、霧の奥から三郎が駆け寄ってきた。彼もまた今の爆発音を耳にしたのだろう。
は鉢屋がたどり着く前に口を開いた。
「月はひさかた、吉野は?」
「みよしの――作戦は効いているみたいだな」
合言葉を言ってから、鉢屋は爆発の聞こえた方向を見ながら立ち止まり、ニヤリと笑った。
この作戦のおかげで休む暇もなかったのだ。
「ええ。他のチームが今の爆発に気を取られている隙に別の場所に移動したい所ですが――」
善法寺先輩が目を覚まさないことには動けませんね。とが伊作の顔を見て苦笑すると、ヒュンッという重い何かが空気を切る音が耳朶に届いた。
反射的に腕でガードすれば、半手甲の上から腕がギュッと圧迫され――飛んできたのが何なのか理解したときには既にの体は数間先に叩きつけられていた。
← 前 次 →